とうとうあの野口悠紀雄氏も自らの執筆作業に取り入れたそうです、iPhoneの音声認識機能による文章の音声入力。
本書は、人工知能の助けを借りて書きました。といっても、1台数億円もする巨大コンピュータを買ったわけではありません。
スマートフォンの音声入力機能を用いて書いたのです。本書は、私が音声入力機能をフルに活用して書いた最初の本です。
(はじめに より)
それが「話すだけで書ける究極の文章法 人工知能が助けてくれる!」。
そりゃそうでしょ。。だって手書きやキーボード入力より遥かに「楽」ですから・・・。

まさに「知的作業の革命」と言っても過言ではないかも。。
かの「堕落論」で知られる無頼派作家、坂口安吾も「文字と速力と文学」の中で、
私の想念は電光の如く流れ走っているのに、私の書く文字はたどたどしく遅い。私が一字づつ文字に突当っているうちに、想念は停滞し、戸惑ひし、とみに生気を失って、ある時は消え失せたりする。また、文字のために限定されて、その逞しい流動力を喪失したり、全然別な方向へ動いたりする。こうして、私は想念の中で多彩な言葉や文章をもっていたにも拘わらず、紙上ではその十分の一の幅しかない言葉や文章や、もどかしいほど意味のかけ離れた文章を持つことになる。
と嘆いています。さらに、
もしも私の筆力が走るが如き速力を持ち、想念を渋滞なく捉えることができたなら、どうだろう。私は私の想念をそのまま文章として表すことが出来るのである。もとよりそれは完成された文章では有り得ないけれども、その草稿を手掛として、観念を反復推敲することができ、育て、整理することが出来る。
と、文字を「書く」ことの、その余りにも非速力さに心底もどかしさを感じていたようです。
そんな坂口安吾に現在の音声入力を与えたとするならば、一体どんな大作を産み出したことか、想像さえつきません。
手書きであれキーボード入力であれフリック入力であれ、それがいくら速かろうと、頭の中で次から次へとノンリニアに溢れる文言を「手で書く」という作業には、乗り越えられない限界があります。
「文章を話す」、それを手の平のスマホの基本機能で、自動でテキスト化することが出来る今の時代、例えそれで吐き出されるものが「完成された文章では有り得ない」ものであったとしても、「書いた」ものとは自ずと風格も深みも違ったものとなるはず。。
ブログや各種SNS大隆盛により、文筆家のみならず今や誰もが「文章」を常にアウトプットすることが当たり前の昨今、音声入力の普及で今まで失われていた「想念の中の多彩な言葉や文章」が表現されるようになるやも知れません。
なにはともあれ「話すだけで書ける究極の文章法」を読む前に「文字と速力と文学」を読むことで、より一層「音声入力」を全力で試したくなること必至、です。
なんせ独自の速記文字まで編み出して結局挫折したほど、「流れる想念を的確に書きとめる」ことに尋常ではないほど焦がれた坂口安吾の情念にあふれた文章ですから・・・。

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話すだけで書ける究極の文章法 人工知能が助けてくれる!